2005年 07月 30日
朗読者講習会その3
「対面朗読者」のための講習会は、あちらこちらで開催されているような印象があるかもしれないですが、じつはがっつり取り組んでいるのは、この都立中央図書館だけ。ここだけなのです。そのため、都内23区の区立図書館から、朗読者たちが研修のため、この講習会に「派遣されて」来ています。そんななかに私もまじっている。
初回に参加者の名簿をいただいたのですが、各人それぞれ「所属図書館」が記載されている。おおおおお。さながら「朗読者万博」、「図書館万博」だ。なんだか私は場違いな感じ。25名のうち、男性はふたりしかいないし、私のような若造も数少ない。私には朗読者として、能力はさほどないが、希少価値はあるにちがいない。
「能力はさほどない」などと謙虚な物言いをしたのには理由があります。
私は朗読なんぞお茶の子さいさいだと思っていました。私はかつて舞台で朗読をしていたことがある。もちろん有料の公演です。そんな私で、なにか役に立てることがあれば、と思ってボランティアに志願したのだ。日本語で書かれた文章なら、あらかた初見でも声には出せる。簡単なことだよ。と思っていたのでした。浅はかなことに。
先日、この欄で出題したクイズ。ちょうど一ヶ月のご無沙汰でした。
「宮本常一は長期療養のため教職を休み、二年あまり故郷の周防大島に帰っていた。柳田國男と宮本が直接対面するのはその手紙から4年後の昭和九年のことである」
この文章が与えられたとして、ここには陥りがちな落とし穴がある。それはどこか。
私が点訳者であれば、想像するに、気をつけるべきは「柳田國男」の読みでしょう。「ヤナギダ」ではなくて「ヤナギタ」が正しいんですよね。「タ」。これを「ダ」と点訳してしまうと、かの「柳田國男」のことであると了解してもらえないおそれがある。
もっとも音訳者の場合は。「ダ」と「タ」の読み分けをさほど気にする必要はないそうです。音訳者が気をつけるべき点は他にあります。どうでしょう。簡単だったかしら。
「周防大島に帰っていた」のは宮本常一なのであって、柳田國男ではない。という、とっても重要な情報ががきちんと伝わるように、「柳田國男と宮本が」の前にある「。」で、ちゃんと間をとること。それが大事です。ここが落とし穴。あっさり読み流していると気づけないです。しかも音訳者はテキストを初見で読みます。ずらずら読みながら、こういった落とし穴に初見で気づかなければならないのですね。
そりゃなかなかキツいですよ、先生・・・。
私は盛んに「音訳者」ということばを使いました。そうなのですよ。対面朗読だの朗読ボランティアだの言うから、私のような者が「朗読なんてカンタン!」だとカン違いする。
正確には朗読者ではなくて音訳者なのだ。
一冊の本を与えられて、その本についての視覚情報を聴覚情報に「翻訳」するのが、私たちに求められている仕事なのだ。それって、私の思っていた「朗読」とはまったくちがうぞ。朗々と読む必要はさらさらないし、初見だから演出プランを練る余裕はないし、そもそも私の読みたいように読むのではなく、利用者の求めに応じて読まねばならないものなのだ。
必要なのは、私が思うに2点です。ひとつは目で見たものを音声化する能力。
これはたぶん古館伊知郎とかが得意そうです。スポーツの実況放送をするのにちかい。一冊の本について実況放送するのだ。だって、雑誌の「ダ・カーポ」とかを与えられて、「じゃあ、お願いします」とか言われるのだ。「ダ・カーポ」の視覚情報を実況放送するわけですね。
そして、もうひとつは。さて、なんでしょうか。これが今回のクイズですよ。(はやし)
by futohen
| 2005-07-30 00:03
| 表現活動一般