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「劇王Ⅲ」の感想その12

 劇団アルマル(韓国)の「毎日死ぬ練習をしている」。大長編感想文。

 去り際のさいごの一言で明かされる「怪人」の正体。なななな。ぬぬぬぬ。のののの。「な行」のリアクションを禁じ得ない私である。

 お前、「インターネット」だったのか。やっぱり人間じゃなかったのね。

 黒マント&黒帽子&黒サングラス&顔面白塗り。いかにも非人間的な、その姿。さながらゲーテのメフェストフェレス。青年はインターネットに魂を売ったのだ。ねねねね?

 もちろん、これは単なる私の解釈。私の受けた印象にすぎませんよ。「怪人」は、やっぱり人間なのかもしれない。脚本をぜひぜひ読んでみたい。じつはこのキム・スミの「毎日死ぬ練習をしている」が。

 「せりふの時代」の秋号に掲載されるんだそうだ!

 なんだよぉ~。それ早く言ってくれよぉ~。そのことを私は今日知りました。思わぬ朗報。望外の喜びです。興味のある方はぜひご一読を。私はこれ、ゼッタイ買うと思うけど。発売が待たれる。よもやハングル表記じゃあるまいね!

 青年は「怪人」をチング(友だち)と呼びました。

 青年は友だちが来るからと言って、母親を部屋から追い出しました。

 「怪人」の前で青年は、母親の前とはちがう、リラックスした表情を見せました。

 「怪人」には、青年は自分の、おそらくは大事な心情を吐露しました。

 「怪人」に青年は自殺のハウ・トゥについてレクチャーを受けました。

 青年は「怪人」から、死のアイテムとして、毒を購入しました。

 青年の、これらの「怪人」とのやりとりのすべてが、じつはインターネットを相手にしたものだったのだ。そう考えると、腑に落ちる。部屋で、青年はずっとPCに向かっていて、だからこそというべきか、カンバスには向かわなかった。青年にとってのチングは、いまやカンバスではなく、インターネットだったのだ。・・・と、いうことか。

 人間ならぬものを俳優が演ずること自体は目新しいやり方ではないでしょう。またインターネットをメフェストフェレス的な存在として描くことも、格別目新しい発想ではないんだろうなぁと思います。でも私は、「怪人」の、「ログアウト!」の一言に、ぞっとする思いがしたな。

 「怪人」が部屋を去り、母親がトンカチを振るい、そして。

 青年は「怪人」から買った毒を使って、毎日練習していたそれを実行します。ここから、観客は想像力を駆使することが求められる、じつに演劇的なシーンが展開するのです。

 つづく。(はやし)
by futohen | 2005-09-23 22:06 | 演劇一般