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「劇王Ⅲ」の感想その8

 「怪人」と青年は、楽しげに会話を交わします。楽しげに、だ。話題は自殺のハウ・トゥ。飛び降り自殺をするとどーだとか、服毒自殺だとどーだとか。自殺のさまざまな手段について、「怪人」が青年にレクチャーします。この会話が、楽しげなのだ。やっぱりふたりは友だち(チング!)だったのか?! それにしたって普通の友だちの会話ではない。

 ふたりのマッスルがこのシーンでも光る。なにせ「もむちゃん」なふたりです。踊っているかのような動きをしながら話す「怪人」。一方の青年はこのシーンでは主にイスに座っている。座っていても青年の身体は「にぎやか」で、筋肉が不用意に弛緩してしまうことがない。セリフと連動して、ある部位にチカラが入ったり、抜けたり、座ったままでも体勢が変わったり。まるで俳優の身体訓練のメニューがそのまんま実践されている感じだ。けっして動き回ったりはしないのに、青年の身体は情報量が豊か。おなじ身体なのに、母親とふたりでいるときと、「怪人」とふたりでいるときと、状態がちがうのですね。

 このシーン、母親は部屋にはいないが、舞台上にはいます。幕開きとおなじ、舞台シモ手奥に置かれたイスに座り、客席には背を向けている。観客に姿は見えているが、シーンには登場していない、という約束ですね。このとき、母親役の女優は、メトロノームがゆっくりと動くように、上体を左右に大きく揺らせていました。静かにね。あれはなぜだろう。ただこの、赤いワンピースの背中の動きが、なめらかで、スピードも均一で、とてもきれいでした。しっかりと観客の視線を受け止める構えができていた。

 「怪人」と青年が会話をしているこのシーンで、舞台奥の女優を見ていた観客はたぶんほとんどいなかったでしょう。けれど、あの背中はうっとりするくらいきれいだった。このことも忘れずに指摘しておきたい。

 青年は「怪人」にすっかり心を許しているよう。自分の信念のようなものを語ります。

 「僕はゴッホのように生きたいんだ」。

 ひょっとしたら「ゴッホのように死にたい」だったかもしれない。不正確でごめん。このセリフを字幕で読んで、私はのけぞりました。こういうことを言う人はあまりおらん。私には衝撃でした。日本人が日本語でこのセリフを言ったら、白けてしまいそうな気がする。うそ臭く感じる。どうだろう。いや、もちろん棟方志功みたいな人だって日本にはいるけれども。

 質問! このセリフはいま愛知万博とならんで人気を博している、愛知県美術館の「ゴッホ展」を意識したものなんだろうか。ただの偶然なんだろうか。どうなの、ゴッホ?

 この、「ゴッホ」についての青年の思いは、じつはこの作品の根幹なのです。ということが、これ以降明らかになる。あんなスゴい身体をしていて、青年はゴッホに憧れる美術青年(?)だったのだ。それで腑に落ちたことがひとつあります。

 「毎日死ぬ練習をしている」の感想、まだまだ終わりが見えません。(はやし)
by futohen | 2005-09-12 18:58 | 演劇一般