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野田秀樹の授業@学習院大学その2

 今更という気もしますが、先日の野田秀樹の授業の様子を。忘れないうちに。

 90分の授業(←これ、時間が短すぎます!)は大きく前半と後半に分けて構成されていました。講義の内容を私が無理やり整理してみますね。前半は、演劇界に野田秀樹が登場(?)した当時の状況を踏まえ、自らが周囲からどのように見られていたか。

 真面目なもの(目的のはっきりしているもの)がスタンダードとされている中にあって、夢の遊眠社の作品は目的のわかりにくい、不真面目なものだと(酷)評された。そして当時は自ら不真面目であることに殊更に肩入れしていた。しかし現在は、せめぎ合いをしている。

 なにが真面目でなにが不真面目か、例を挙げて分類してみせたりなど、ひじょうに愉快で楽しい講義でした。野田秀樹は、語りつつ次第にエンジンがかかってきたかの様子。表面的(皮膚的)なものが実は本質的でもあるのだということを、ホワイトボードに大きく「50音図」を書いて解説していくところでは、教室全体から「ほぉ・・・」と感嘆の声が漏れました。

 のっけに「あい(愛)」の「うえ(飢え)」があり、その架け橋となるのが「いう(言う)」という行為であり、その隣には「きく(聞く)」人がいる。対話をして人は「しす(死す)」。そして「ちつ(膣)」で胎内に回帰し、という具合に強引に「ひふ(皮膚)」に結び付けていく。その運びはダイナミックで、いかにも野田秀樹が思いつきそうな(表面的な)ことで、おもしろかったな。

 前半部分は、「野田秀樹の非国語」という著書の内容とかなり重なります。(←私は未読でした)。20年ぐらい前にどっかでお話ししたことですと、本人も言っていました。前半以上に興味深かったのは後半です。ここで上記の「せめぎ合い」が語られるのです。
 
 つづく。はやし
by futohen | 2006-11-02 00:06 | 演劇一般